2017年3月11日土曜日

金磯町で発見!安政地震の碑「帽巖跡」

年末の徳島新聞の記事1) で新しく発見された地震碑の存在を知り、
石碑の場所を探して、調査しました。

石碑の場所の事前調査

小松島市金磯町にあるということで、
調査に行く前、どこに行けば目的の石碑があるのかを調べること、
延べ時間にして約半日。
グーグルマップ、グーグルアース、そしてストリートビューを駆使し
(便利な時代になりました)、事前に場所が特定できました。

それ程広くない金磯町。
と言っても、新聞記事(文章と写真)だけを手掛かりに
小さな公園の片隅にある碑を探してまわるのは大変ですから。(^^;


現地調査

帽巖跡碑
場所 徳島県小松島市金磯町(地図


その昔、源義経が烏帽子(えぼし)を置いた?とされる岩「義経烏帽子岩」
この地にあったそうです。



1854(安政元)年に発生した安政南海地震により、
烏帽子岩の上部が崩壊したとこの石碑に刻まれています。

残念なことに、
昭和40年頃の土地の整備により、
烏帽子岩は跡形もなくなってしまったそうです。2)

帽巖跡ぼうがんあとorぼうげんあと読めばよいのでしょうか?
との題字が刻まれたこの石碑。
金磯新田を干拓・開拓した豪農「多田家」の多田勝太郎氏により
明治43年2月に建立された石碑で、舟形地蔵と並んで立っています。

また、しばしばこうした石碑には、
石碑のおもて面だけでなく裏面や側面、また台座といったところに
補足情報が刻まれていたりすることがあります。
残念ながら、この碑にはそうしたものは見当たりませんでした・・・。

石碑の文字を書き起こしてみました。
※間違っていたらごめんなさい。

 帽巖跡
 安政元年十一月五日寅剋
 地震破壊帽岩按阿波志曰
 烏帽子岩在金磯高二丈四
 尺其頂似帽上周四丈二尺
 中痩如削下周十丈八尺也
 茲表史蹟以傅後昆
  明治四十三年二月
   地主多田勝太郎誌


さらに、「小松島市新風土記」を参考に、
解読(解説付)を自己流の解釈込みでしてみました。
以下に示します。

 安政元年(西暦1854年)11月5日寅の刻
 地震が帽岩を破壊したと考える。
 
 阿波志には こう記されている。

 金磯に烏帽子岩あり
 その高さ二丈四尺(約7.2m)
 その頂が烏帽子に似ている
 上方の周りは四丈三尺(約12.7m)
 中ほどは痩せているように削れており
 下方の周りは十丈八尺(約32.4m)である

 ここに史跡に表すことにより
 これを後に伝える。
  明治43年(西暦1910年)2月
   地主 多田勝太郎誌

阿波志:
 徳島藩の儒員佐野山陰が藩命によって編集した官撰の地誌
 「阿波誌」(文化12年)巻之十勝浦郡、山川の章に烏帽子岩に
 ついて記されている。
 国立国会図書館デジタルコレクションに収録されており

 インターネットを介して閲覧できる
 阿波志が刊行された文化12年は、西暦で1815年。
 安政南海地震が1854年ですから、その約40年前の記録誌。
この石碑の建立から100年以上が経過し、
その間には、烏帽子岩自体がなくなってしまった。
しかしこの石碑は、今から163年前の1854年安政南海地震の揺れにより
大きな岩が崩壊する被害があった事実を、しっかり後世に伝えてくれています。

この石碑は、小松島とても激しい揺れ襲われた
とても貴重な石碑です。

この石碑、地震や津波の被害を詳細に記したものではありません。
しかし安政南海地震による小松島市金磯町での揺れが、
大きな岩が崩壊するほど大きな揺れであったことを
後世に伝えてくれています。

烏帽子岩についての文献調査

この石碑から得られる地震の情報は、
発生した日時と烏帽子岩の崩壊についてだけでした。

しかし、この烏帽子岩の崩壊がどのようなものだったのか、
詳しく知ることで見いだせることがあるのではないか!
と考え、小松島市立図書館及び徳島県立図書館を訪ね、
文献調査をしてきました。

小松島市史(昭和27年10月)」に当時の様子が記されていないか調べてみました。
【引用:小松島市史 昭和27年10月】

「第十二節 安政の地震と大火」として節立てされ、
少しですが記述がありました3)。

 安政元年十一月三日から、同月末迄、
 西方の中天にあつて、時々雷の様な音響が聞え、強弱交々震動した。
 殊に四日の三時頃から、俄に地震が起り始め、
 五日の夕刻は大地震が揺り出ずと同時に、
 川口には山の様な津浪が起つた、
 人々は何れも各所に避難した。

 北町の光善寺西隣りに小川屋という料理屋があつたが、
 一番に倒れ火を発し光善寺に燃え移り、
 火の粉は浜須賀に飛び新町は東方から焼け、
 西町は全体、中町は地蔵寺の隣東側全部、
 それに北町は残らず焼けた。
 残つた所は神代橋筋と祇園社、正八幡社、地蔵寺だけであつたが、
 三日に亘る大火であつた。

 津浪は江田の橋迄上荷船を押上げて来た程であつた、
 人々を恐々として外に仮小屋を設けて、起臥する有様であつた。

 津浪の時に泉の水が急に減水し、潮は落ちて遠くなるという、
 この火事の際某家では金銀を、井戸に投げ込んで置いて避難したため
 無事であつたという話も伝わつて居る。
 【引用:小松島市史 旧小松島町の巻 昭和27年10月】

と、残念ながら烏帽子岩の崩壊についての記述はありませんでした。

そこで、次に地形の項目でこの石碑にほど近い「弁天さん」の情報を
当たってみました。

「3、辨天島」
 ・・・・・(前省略)
 又関ぞろに歌われている魚帽子岩は
 この附近の畑中につき立つて鳥帽子の形をしていたが
 安政年間の地震のためくずれてしまつて
 今はそのあとがあるのみである。
【引用:小松島市史 旧小松島町の巻 p.156 昭和27年10月】

弁天島の箇所に烏帽子岩の記述はありましたが、
それは石碑の碑文に勝る程の情報はありませんでした。

文中にある「関(せき)ぞろ」というのも気になって、調べてみました。
「関ぞろ」は「節季候(せきぞろ)」とも書かれ、
江戸時代に小松島の藍商人によって、江戸吉原で囃された歌で、

♪ ずっと昔のまだ昔
 九郎判官義経様が
 静御前を連れ逃げ
 (中略)
 烏帽子かけたる烏帽子岩

と歌われていた(いる?)そうです。4)

烏帽子岩の謂れは、
 ① 義経が烏帽子をかけた岩だからなのか
 ② 形が烏帽子のようだったからなのか
皆さんはどう思われますか?

個人的には②が先で、①は後付けのように思います。


実は、江戸時代の観光ガイドのような資料「阿波名所図会」に
小松島の様子も描かれていて、烏帽子岩も描き残されています!
以下のリンクから、確認できます。
33ページです。ぜひ探してみてください。

徳島県立図書館 阿波名所図会
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/monjyo/gazou/awameisyozue.html

「ゑぼし岩」と記されていますょ。

【参考文献】
1) 徳島新聞web 2016/12/31 小松島で安政南海地震の碑発見
 http://www.topics.or.jp/localNews/news/2016/12/2016_1483158674477.html
2) 阿波・義経街道 其の一:義経リアル・ロード
 http://www9.plala.or.jp/romp/awa-yoshitsunekaidoh.htm
3) 小松島市史 旧小松島町の巻 昭和27年10月.
4) 小松島市新風土記 小松島市新風土記編纂委員会 p.330 平成13年4月.

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2016年11月22日火曜日

気になっている今がチャンス!南海地震に備えよう!


11月23日(水・)に南海トラフ地震が起こる?!
という予言が、巷でよく話題になっているようですね。
今朝(11/22)の東北の地震津波の報道を見て、
一層この予言が気になっている人も増えていると思います。

当たってるの?信憑性は?専門家の見解は?
と私にも聞かれることがあります。

「気になるなら、詮索するより備えようよ!」
って話してます。

□ 身の回りの安全確保の再確認
□ 津波避難場所・避難経路・避難方法の確認
□ 安否確認方法・避難先の家族での相互再確認
□ 車のGS満タン
□ 備蓄食料の点検・買い足し
□ 飲料水確保(とりあえずは水道水確保だけでも被災直後は違ってくる)
□ 防寒対策などの備蓄品の確保
□ 積極的津波避難の心づもり
などなど。

科学的知見から、南海トラフ地震は近い将来必ず起こるとずっと言われています。

今夜は、まじめに家族会議で南海地震への備えについて話し合い、備えてみてはいかがでしょうか。
当たってたら、
 「備えてて良かったと思えます。
空振りでも、
 あなたとご家族の防災力確実に高められます!

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2015年10月20日火曜日

あかりの里

勝浦町坂本の「あかりの里」

2015年は10月13日(火),14日(水)と2日開催されました。
平日の夜にもかかわらず、たくさんの方にお越し頂けました。
ありがとうございました。

お越し頂けました皆様、楽しんでいただけましたか?






















私も、スタッフの一員として、計画、準備、掃除、設営、交通誘導、広報、片づけ等、
できる範囲でですが、お手伝いさせていただきました。

生まれ、育ててくれた地域の人たちと一緒にイベントに参画でき、
 一緒にをかいて成功を納められた充実感、達成感、
 懐かしい人達と一緒時間を過ごせたこと、
 しくり合えた人、よりがれた人がいたこと、
 見に来てくれた人達の笑顔を見られたこと、
 色々な表情のあんどん(作品)を見られたこと、
 子どもの頃過ごした場所をきれいにできたこと、
 自慢のふるさとにたくさんの来てくれたこと、

小さな幸せかもしれませんが、
そうした幸せをたくさん感じたイベントでした

心から、感謝。
ありがとう。

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2015年9月19日土曜日

チリ沖地震津波 津波注意報&避難指示発令だが?!

日本時間の9月17日(木)朝8時頃に発生したチリ沖地震(M8.3)

その地震に伴って発生した津波が太平洋を渡って来襲するとのことで,
徳島県沿岸津波注意報が発表された.
また,NHKラジオ第一の放送では,
 美波町由岐で 微弱な津波を観測,後に「10cmの津波観測 上昇中」
 小松島市で 微弱な津波を観測
と放送されていた.

徳島市阿南市海岸堤防の海側及び河川堤防の川側には
避難指示』が9月18日早朝3時15分から発令されていた.

堤防の外側は津波が来るかもしれないからl避難しなさいと各市が求めていたということ.

避難準備情報でも避難勧告ではなく,
それらの上の段階避難指示

【避難指示】コトバンク デジタル大辞林より)
災害が発生したり予想され、急を要する場合に、災害対策基本法に基づいて、市町村長が居住者・滞在者などに対して地域外へ立ち退くよう強く求めること。 避難勧告よりも危険が切迫しているときに出される。 避難勧告・避難指示には強制力がなく罰則規定はないが、警戒区域に権限なく立ち入った場合は、罰則が科せられる。


「これは大変だ!

 もしかしたら,
 港湾の荷役や造船等の
 港,沿岸の堤防の外側で仕事されている方達は,
 津波注意報による避難指示で
 仕事ストップかっ?!

 もしストップなら,津波の直接被害がなくても経済損失は大きいなぁ!
 ホンマ,えらいこっちゃ!」


私は,自前のライフジャケットを車に積んで
専門家としての見識を持って『安全第一』で,
あくまで堤防の内側で,と決意して
津田の木工団地とマリンピアへ状況を確認しに行きました.

■津田木工団地
見たところ,通常業務がこなされているようでした.

この陸閘は開いていました

オーシャン東九フェリーがちょうど着岸するところでした.

■マリンピア沖ノ洲

マリンピアへ渡る南側の橋のたもとあたりの陸閘.
こちらも開いていました.

ここを通る車の車種,通行台数は
通常業務で行き来しているようでした.

海沿いの工事も,津波には注意されていたのだと思いますが,
作業は通常通り工事されていたように思います.

ふと,新町川を望むと,

船が行き来していました.

これもいつも通りなのかな?


徳島県の報告によると,
幸い,今回の津波による徳島県下での被害はなかったようです.

また,樋門・陸閘等の注意報閉鎖対象390施設
すべて朝5時45分の時点で閉鎖完了していたそうです.


門扉の操作は事前の計画通りに速やかに実施されていて,
しかも対応迅速だったと評価できるのではないでしょうか.

しかし,私が思う点が2つ.

①抜き打ち訓練として対応訓練してみては!
今回の津波注意報をきっかけに,少々通常の活動を止めて,
抜き打ちテストのような感覚で,避難体制等を積極的にとってみては
どうでしょうか.
この日は,シルバーウィーク直前の日だったこともあり,
一般的に多忙な状況だったとお察しします.
しかし,
災害は人間社会の都合なんかは選んで起こってくれません.

②状況の変化に対応できる体制だったか?
今回の調査中に「由岐で微弱な津波を観測」と伝えられていたのが,
10cmの津波を観測し,上昇中」と観測に基づく津波の高さがアップしました.
私はこの後,どれくらい水位上昇があるのかと,とても心配していました.
こうした予測や観測など状況の変化,さらに被害が発生しそうな状況にまで
悪くなる事態に至っていた場合,
果たして,対応できる万全な体制が取れていたのでしょうか?
とても心配に感じました.


本投稿で事実と異なる「私の推察」がありましたら,
あらかじめお詫び申し上げます.
コメントいただければ,訂正対応させていただきます.


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2015年9月16日水曜日

ほとんどの住民が参加 生名区防災訓練2015

勝浦町では、毎年9月第一日曜に恒例開催の
町内一斉防災訓練

生名区でも行われました。

毎年、この日は9月の町内一斉清掃と同日開催で、朝からバタバタなのです。(汗)


9月6日()午前10時10分 訓練開始の緊急地震速報が防災行政無線で放送。

その後、揺れがおさまった頃を見計らって、隣組での第1次安否確認(相互口頭)。

さらに、生名区の避難場所3ヶ所に集まって、2次安否確認
私は最寄りの避難場所の観正寺へ.

観正寺に集まった訓練参加者

ここで、安否確認報告のための取りまとめを隣組組長が中心となって行います。
安否状況がまとめられ次第,組長さんは生名区の防災対応の中核を担う生名センターの
区三役へ、自身で赴いて報告します。

写真を見て分かるように、この日はあいにくの雨天でした。
でも、そんな天気にもかかわらず、子どもからお年寄りまで、
地区のほとんどの方が参加して下さっていました。

この時、もし倒壊家屋があったり、緊急にがれき撤去が必要な場合は、
集まっている人から対応できる人を募って対応することになってます。

さてそのあと、11時頃から、訓練用消火器を使って消火訓練
消火訓練の様子

消火器の使い方・手順を確認しました.

その後、生名センターに入って、講演。
生名センターに集まった参加者

 毎年たくさんの方にご参加いただいてます。

宮本区長のあいさつ。
宮本区長のあいさつ

区長のあいさつの後、
私から「豪雨災害に備えて」 と 「災害とその後の暮らし」 と
題して30分ほど話題提供させていただきました.

途中、中田町長と椎野教育長が視察に訪ねて来られ、
町長より一言ご挨拶を頂きました。
中田町長のあいさつ

私からの話題提供の時、非常食の試食ということで、
婦人会の皆さんにご準備頂いたアルファ米お素麺が配られました。

婦人会からは、事前にアルファ米を使ってみて失敗したこと等を踏まえて、
アルファ米の作り方と注意点についてお話しいただきました。

婦人会によるアルファ米の作り方説明

毎年同じように訓練をしているようですが、
計画・実施している生名区,婦人会,消防団,予備隊,ほか関係者の皆さんは、
毎年、事前に会を開いて、
地域の防災力が少しでも向上するよういろいろとアイデアを
出し合いながら、計画・準備をして、この日の訓練に臨んでいます。

地区の皆さんも、そうしたところを感じていただいているのでしょうか。
毎年、たくさんの参加者というかほとんどの住民の皆さん参加して
下さっていることに敬意を表します。

これからもずーっと継続されるよう、私も努力しなければと思っています。


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2015年7月17日金曜日

台風11号の爪痕

台風11号,7月16日22時頃から日が変わる頃まで,風雨がとくに凄かったです.
勝浦の上流にあたる,上勝町で時間雨量120mmという記録的短時間雨量が観測されたと全国ニュースでも流れているほど,今回の台風の外力を受けた中心地域だったと言えるのでしょうかね.

ということで,台風が過ぎ去った翌朝に,早速,独自に勝浦町東部を見て回りました.


勝浦町中角の某モータースさんの倉庫(車庫?)


私の記憶では,北東から東北東の風が22時頃に強かったのですが,
その時期にめくれ上がったのでしょうか.


同じところを,北方向から撮影したものです.



心中より,災害お見舞い申し上げます.


県道徳島上那賀線の勝浦校前


強風で枝葉がたくさん落ちていました.

道の駅ひなの里かつうら・JAよってネ市の駐車場
毎度毎度出水のたびに,生名バイパスは冠水してますが,
この台風でも道の駅の入り口付近は浸水していたことが痕跡からわかります.
結構な枯草の量があります.


続いて,星谷潜水橋

17日朝9時30分頃の様子です.
橋のたもとに引っかかっている漂流ゴミから,どれくらい川の水位が上がっていたのかが推測できます.
ただ,上流の上勝町で記録的短時間雨量が記録され,
私の感覚では3時間くらい風雨が特に強かったのに,
これだけの河川水位上昇で抑えられているとは.
正木ダムの運用・操作に感謝・関心した次第です.

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2015年5月28日木曜日

阿南市福井ダム公園の再整備の提案

福井ダムの建設に伴う周辺整備で作られた公園だと思われる
「福井ダム公園」

遊具が充実していた頃の福井ダム公園

かつて,長いすべり台が目玉で,充実した遊具が魅力的だった公園.
「親子で行ったことあるよ」という人も,たくさんいると思う.

小耳にはさんではいましたが,
私がこの前に訪れた時は,公園の遊具は撤去されてた.
すべり台などの遊具の老朽化等により,撤去されたものと察する.
残念ながら,管理棟横の駐車場には,大雨の時に流れ下りてきた土砂だろう.
駐車場一面に土砂が広がっていて,十分手入れがされている,とは
言えない様子だった.

駐車場・管理棟周辺から福井ダムを望む

ただ,トイレや休憩スペースはきれいに維持管理されていた.
実際にトイレを使ったけど,公衆トイレらしい悪臭もなく,清潔に維持されている様子.

トイレと休憩スペース

「ツツジもきれいに咲いとって,ええとこやなぁ.
 もったいないなぁ」



すべり台が設置されていた斜面には,現在草が茂っている.

この斜面に人工芝を敷き詰めて,

人工芝

高松空港公園の「そりゲレンデ」のようにしてはどうでしょう.


高松空港公園のソリゲレンデ


以前に我が家で高松空港公園の「そりゲレンデ」に行きましたが,
子ども達が何度も何度も興奮気味に斜面をソリに乗って滑り下りる笑顔と,
響き渡る楽しそうな声.
「連れて行ってよかったなぁ」と当時思いました.


福井ダム公園.

再整備して,再びそうした元気な子供たちの笑顔や声が響き渡る谷に
なればなぁと,勝手に思いをめぐらせてみました.

勝浦にも,そりゲレンデ,あったらええなぁ.
休耕果樹園を活用した「そりゲレンデ」.
どうかな?


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